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欲求を晴らすために、残像をみるという虚しさ。 [真夜中のつれづれ記…]

 手淫。


 誰でもしますよね。


 性的欲求の解消ですね。


 でも、それは、人間の本来あるべき姿ではない。


 旧約聖書でも、「人が独りでいるのは好ましくない」と、神が考えられて、伴侶(イブ)がつくられたのですから。


 当初、アダムとエバの間には、性交はなかった。そういうことをしなくても、一緒にいるだけでお互いの慰めになった訳です。


 それが、善悪知る木の実を食べてしまってから、原罪を負い、反対の側面で言えばセックスを知ることに。


 まあ、前置きはここまでとして。


 お互いに、「私は、アナタに、身体まで許す。だって好きだから」という相手には、なかなか巡り会えません。


 そうなると、欲求を晴らすために、自慰をするわけですよね。


 自慰(オナニー)の起源は、オナンが、神から、兄夫婦のところに子供ができないから、オナンに義姉とのセックスをするように神が命令し、だけど、子作りのためだけのセックスが阿呆らしいと思ったオナンが、射精するタイミングで膣外射精して、神の命令にそむいた、という事件から、その名がつけられています。


 これを、ほとんどのキリスト教の信者は、「だから、オナニーをする事自体が罪なのだ」と曲解していますが、神が追求したのは、神の意図を実行しなかったオナンの行動です。


 つまり、自慰行為自体が罪なのではなくて、兄に子をもうけるために神が命令したセックスを、最後まで実行しなかったオナンの行動を責めているのです。


 話をもとに戻します。


 自慰行為のとき、僕の場合は、テレパシーをつかってネット上の相手を往かせます。もしくは、身近な

人を想像して頂点を迎えます。


 普通の人がやる、エロ動画をみながら頂点を迎える、というのは、まさに自己満足ではありませんか。


 負けた気がしませんか。


 ターゲットに向かって手淫しましょう。自己満足ではなしに。


 

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